コラム

「世界で活躍する子の子育てを考える」山地由里 第二回

前回は、私自身のキャリアパスを振り返りながら、これからの世界で活躍する子どもを育てるために必要だと考えている3つのことについてお話しさせていただきました。今回はよりパーソナルな視点で、私が親として日々の子育ての中で感じていることをご紹介します。

子育てで意識していること

私は、子育てにおいて、2つのことを意識しています。一つは「一人の人格として尊重すること」、もう一つは「勉強よりも、生き抜く力、社会できちんと生きていけるようになること」です。

私は、アメリカで3人の子供を出産し、現地の保育園に子どもを預けて仕事をしていました。その時の保育園での経験に非常に衝撃を受けました。

というのも、日本では「子供だからこの程度」といったように、子ども扱いは当たり前という感覚があります。しかし、アメリカでは子どもに対してもリトルパーソンとして、一人の人格を持った人間として扱うからです。子ども達が行っていた保育園では、一人ひとりの個性や意見を尊重し、大人の価値観を押しつけるようなことはしませんでした。

そのような経験から、自分の子どもに対しても、たまたま私の子どもとして生まれてきたけれど、私とは別人格の人間なので、アドバイスはしても私の考えをおしつけることはできるだけせず、一人の人間として尊重したいと思っています。

また、私はいわゆる「勉強」ができなくても良いと思っています。私は子供の通知表を気に病んだり、親子面談のときに先生に「うちの子の成績はどうですか?」と詳しく聞いたりもしません。

学校の成績や決まり事の中でうまくやるということよりも、「生きていく力」「生活していく力」の方がずっと大事だと思っているからです。人間は社会の中で生きていくものなので、「どれだけ社会に貢献できるか」「どれだけ一人で生きていくことができるか」「社会の中で他者とのつながりの中にいられるか」ということを子育ての中で意識しています

私の長男は、通常の学校の基準からはちょっと外れていて、学校の先生からお手紙という名の苦言をいただくこともあります。ただ、学校であるべき姿に押し込めて、無難に過ごして、それなりの成績をとることが、この子の将来に役立つとは考えていません。オタク気質で、ゲームが大好きで、自分を表現する方法も他のお子さんとちょっと違う子なので、とにかく自分が大好きなことをやれば良いと思っています。

一般的には「それはどうなの?」と言われることもあるかもしれませんが、人に迷惑をかけずに、自立することができれば、学校の成績はそれほど大事ではないと考えています。少し極端な考え方かもしれませんが。

「自分のやりたいこと」や「好きなこと」をやるというのは、とても熱量を生むものですし、やり続けることで他の人ととは少し違う視点を持つこともできます。そして、それが予想もしない何かにつながることもあると私は思っています。

電池にハマった長男

前回、さかなクンについて触れましたが、我が家の長男もさかなクンに似たところがあって、好きなものに対してぐーっとのめり込んでいき、嫌いなものには全く手をつけたくないというところがあります。

例えば、ある時は電池ブームというものがありました。ある日を境に、突然あらゆる電池に興味を持ち始め、買い物に連れていくと、急いで電池売り場に向かっては目をキラキラさせてじーっと電池を見ていました。また、家に帰れば、彼が描く絵は、すべて電池の絵でした。

今はそのブームは去りましたが、相変わらず何かにはまると、他のものは何も目に入らないというオタクぶりは健在です。これでいいんだろうかと世間一般では思われるようなこともあるかもしれませんが、私達夫婦はそれでいいと思って応援しています。

現在、長男はプログラミング教室に通っています。プログラミング教室は、自分の世界観を遊びながら形にすることができる場だと思っていますので、 デジタル好きな彼にはちょうど良いのかなと思っています。

ロボットやゲームを作る体験レッスンに入れてみたところ、ユニークなゲームを作ってみたりロジックを上手に組み立てたりして、とても楽しんでいました。姉妹に比べ、口が達者でない息子にとって、自分を表現する手段の一つとしてのプログラミングはあっているのではないかと思い、その後も通わせることにしました。

教室では、好きなことができるし、それを自分よりもコンピューターのいろんなことを知ってるお兄さんお姉さん達から教えてもらえたり、ほめてもらえたりするので、本人としては習い事というよりは、家でできないことを出来る場所と思っているようで、とても楽しんでいる様子です。

「(Scratch Jr. ではなく)文字で書くプログラミングを早くやりたい!」と言うようになったり、ゲームをやっていても「これはこういう仕組みでできている」とか、「スーパーマリオがどういう風にできたのか」といったことを考えるようになってきたようで、本人の世界が広がってきていると感じています。

習い事の選択基準

我が家における習い事を選ぶ基準ですが、ここでもあまり世間一般の価値基準をおしつけるというのはしたくないと思っています。例えば、プログラミングに通わせる際、「これからプログラミング教育が必修化されることになった」とか、「どんな仕事をするにしても、コンピューターを理解しておいた方がいい」ということを軸にプログラミングをすすめる教室も多いと思いますが、私はそういった基準では選びませんでした。

子どもには好きなことをやってほしいと思っていますし、根本には「楽しむ」ということが大事だと思っています。長男も、プログラミング教室に通っているのが、楽しくて楽しくて仕方がなくて、親がわざわざ聞かなくても「こんなゲームを作ろう」「あんなゲーム作ろう」という話を次々とします。

楽しんでいるときの子どもというのは、すごく生き生きしていますし、その経験が次のステップにつながっていくと思うので、楽しむことを応援する場として習い事を活用したいと思っています。

これからの教育に求めるもの

最後に、これからの教育に求めるものについて、お話したいと思います。これからの教育においては、誰かが決めた「正解」を探すような教育はやめてほしいなと思っています。正解というのは自分が作っていくものであって、既存の価値観による「正しい」答えにたどり着くのがその子の人生のゴールではないと思っているからです。

一般的な学校では、まだまだ大学に入るためのカリキュラムが中心であることもあり、「この問題に対してはこれが正しい答えですよ」というのがありがちだとは思います。

実際の世の中の課題に対する答えは常に一つではないと思いますし、正しいとされることも一つではないと思います。様々な考えを様々な形で表現していくことから生まれる新しい価値を応援してくれたり、まだ答えのないような問いに向き合えるような教育の場が増えていくと良いと思っています。